当社は昭和22年(1947年)創業以来、「金型が基本」を信条に技術開発を主体とした事業を展開して参りました。金属プレス加工およびプラスチック成形加工において、当社が長年培ってきた技術とノウハウを駆使し,常に“お客様への提案”を重視した『ものづくり』に力を注いでいます。
今後も斬新な提案と創意工夫に努め、高品質・高精度を追求するとともに、顧客のニーズに応えるべき微細加工や極薄板加工などに特化した製品を提供することが使命と考えています。
これらの事業遂行により更なるお客様の信頼を得て、社員の幸福に寄与し、社会に貢献する企業を目指してまいります。 |
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代表取締役社長
橋 賢吾 |
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会社名 |
御前山精密株式会社 |
代表者 |
代表取締役社長 橋 賢吾 |
所在地 |
〒311-4613 茨城県常陸大宮市長倉1139 |
電話番号 |
0295-55-2135 |
FAX |
0295-55-2743 |
資本金 |
50,000千円 |
取扱製品 |
医療機器部品、デジタルカメラ・携帯電話など光学機器関連部品
プリンター・複合機などの関連部品、自動車部品 |
敷地面積 |
16,500u |
建屋面積 |
3,000u |
従業員 |
35名 |
取引銀行 |
常陽銀行、日本政策金融公庫 |
主要取引先 |
富士フィルム株式会社、HOYA株式会社、
リコーイメージング株式会社、株式会社タムロン、
日立アプライアンス株式会社、株式会社リコー、
株式会社日立産機システム、富士フィルムオプテイクス株式会社 |
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1.ミッション(役割)
(1)顧客への提案を重視した多品種少量精密プレス専門メーカーとしてのステータスを保持
(2)地域と共生し地域に根ざした業務を展開する
2.ミッションのバリュー(価値観・行動範囲)
(1)顧客の立場での“ものづくり”
(2)仕事を通した“ひとづくり”
3.ビジョン(将来像)
高品質・高精度を追求し、微細加工並びに極薄板加工などに特化した独自技術をもち、
希少性や模倣困難といった高付加価値を実現し、オンリーワン企業として確固たる
技術ノウハウのブラックボックス化を図る |
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昭和22年 |
東京都葛飾区にオリオン光器を創業し、プレス金型の製作及び金属プレス加工を始める。 |
昭和44年 |
御前山村に会社を移転。御前山精密鰍設立。 |
昭和59年 |
プラスチック成形金型の設計・製作、プラスチック成形加工を開始。 |
昭和63年 |
資本金を5,000万円に増資。 |
平成 4年 |
新工場棟落成 |
平成 8年 |
品質マネジメントシステム ISO9001 認証取得(JQA-1521) |
平成19年 |
環境マネジメントシステム KES 認証取得(KES-0126) |
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〜 基本理念〜 |
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御前山精密株式会社は、地球環境の保全が人類共通の最重要課題の一つであることを認識し、全組織を挙げて環境負荷の低減に努力します。 |
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〜方 針〜 |
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御前山精密株式会社は、プレス金型及びプラスチック成形金型の設計・製作、プレス部品及びプラスチック成形部品の製造、及びこれらの部品組立に係わる全ての活動、製品及びサービスの環境影響を低減するために、次の方針に基づき環境マネージメント活動を推進して地球環境との調和を目指します。
1.当社の活動、製品及びサービスに係わる環境影響を常に認識し、環境汚染の予防を推進する
とともに、環境マネジメント活動の継続的改善を図ります。
2.当社の活動、製品及びサービスに係わる環境関連の法的及びその他の要求事項を、遵守しま
す。
3.当社の活動、製品及びサービスに係わる環境影響のうち、以下の項目を環境管理重点テーマ
として取り組みます。
(1)電力使用量の削減
(2)輸送量の削減
(3)グリーン調達(エコ製品購入)の推進
(4)法規制等の整備
(5)工場周辺の清掃活動
4.一人ひとりが環境負荷低減活動を積極的に実践できるように、この環境宣言を従業員に周知
するとともに一般の人々が入手できるようにします。
上記方針達成のために、目標を設定し、定期的に見直し、環境マネージメントシステムを推進し
ます。 |
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●お車の場合:常磐自動車道「水戸IC」からで約40分
●鉄道の場合:JR水郡線「常陸大宮駅」からタクシーで約20分 |
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戦後間もなく先代の社長(私の父親)は、戦前に身につけた金型技術を生かして東京の新小岩に金型工場を設立しました。まだ電力事情が悪い中、思うような操業が出来ずに苦労したそうです。その後、朝鮮戦争の特需により資金を得て、設備を導入し雇用を増やし事業拡大を進めました。
当時は、カメラの外装部は真鍮の絞り加工で作りましたので、絞り金型の技術を生かし、カメラメーカーからの受注を増やして行きました。
しばらくしてプラスチック射出成形の技術が確立され、カメラの外装部や機構部品はエンプラに代わり、それによってかなりのの受注減となりました。
しかし、これまで培ってきた金型技術とノウハウを駆使して精密プレス部品の金型設計製作・精密プレス加工へと移行してきました。
東京の工場も手狭になり、地方へ工場を移転する事になり、候補の場所を探していたところ、茨城県御前山村の廃校が見つかりました。当時の村長は地元住民の雇用確保のため、製造業の誘致を希望していました。そして昭和44年に御前山の地に工場を移転し、社名も「御前山精密」としました。今でも事務棟は昔の木造校舎を使用し、訪問者が懐かしいと言ってくださいます。
当時の御前山村は農村の過疎地で、国道123号線も舗装されてなく、水戸や宇都宮へ行くのに2時間もかかるような場所でした。
工場移設後、地元の人を従業員に採用しましたが、農繁期になると多くの従業員が欠勤して、納期に支障をきたす事もあったようです。農業の他に収入源が無い地域でしたので、積極的に地元の人を採用しました。しかし、機械も見たことがない、検査器具も使った事がない、図面も初めて見るという人ばかりで、教育と訓練に力を入れて育成してきました。
従業員から「御前山精密に勤めたおかげで子どもを大学まで進学させるを事が出来た」と言われることがあります。地域社会で事業を営み、地域社会の人たちと交流を深めながらこれからも地域とともに活動を進めたいと思っています。
代表取締役社長 橋 賢吾
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▲廃校跡の社屋 |
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▲建屋内の廊下 |
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▲近くを流れる那珂川の清流 |
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